冬ときどき春

今日も雨はあまり落ちてこないものの、一日中すっきりとしない天気。太陽を待っているけど、なかなか顔を見せてくれない。こういう天気が続くともやもやしてくる。洗濯物もどんどん溜まっていく。部屋干しでも仕方ない、洗濯は憂鬱な気分を少しは晴らしてくれるもの。

昼食の後、敷地内を少し散歩する。たっぷりと雨を吸い込んだ大地、柔らかすぎて歩くのを躊躇うくらい。薄暗く肌寒い午後だけど、足元に感じる日増しに蠢く草花の準備体操。洗濯ができなくても、この雨が冬から春へのきっかけになっていると感じる。朽ちかけているリンゴ林の方から、キツツキ類のドラミングの音が聞こえてくる。とてもせわしなく叩きつけるリズムが、また気持ちを高ぶらせてくれる。たぶん君はコゲラかな。ありがとう。

仕事を終えて炭に火をつけて、ゆっくりと土間ですごす。随分と火と仲良くなってきた。扱い方ももう戸惑わないくらいに。伴奏には、ドヴォルザーク「交響曲第7番」を選ぶ。重厚さと軽快さのバランスが心地よく響く。友人の持ってきた本から野外生活術について書かれたものを読み、飯盒でご飯を炊きたい、外で寝たいと思いながら笑う。どこかの古本屋で何となく手に入れてあまり読んでいなかったシェリーの詩集にも少し目を落とす。そしてぼんやりと愛について考えてみる。小さな愛、大きな愛、博愛、慈悲。孤独。人間。

静かすぎる夜。
昼間に出会った野草。

どうして春が来て花が咲くのか。
緑、赤、青、黄色。

冬の後には春がくるけど
春の次には冬は来ない。

冬から春。
孤独から博愛。

冬ときどき春でいい。
春の次には冬は来ない。

燃える牧丘ナイト。

雨が続いている。すっきりしない感じ。

日曜日、同居人のバイト先の木工所が火事になった。
今週、彼はその始末で飛び回っている。

毎日、片付けに追われながらも、たくさんの輝かしいものを小さな自動車にいっぱい詰め込んで帰ってくる。小さなネジから忘れ去られたモノたち。







僕がバイトから帰るとその日一日の進み具合や、火事の片付けと共に葬りさられる運命にあったモノを教えてくれる。僕達の価値観。少し上の世代の価値観。もう少し上の世代の価値観。モノを大切にしたいと思う気持ち。掃いては捨てるものをどんどんつくりだしたいという気持ち。環境や経済活動によってつくりだされる価値観。そういったものの違い。磨けば光るモノは大切な文脈をもって存在している。それを捨てることが明日への希望につながるような世界のあり方が見える。そうせざるを得ないのが、今、僕達が生きている時代なのか。

絶望のようだけど、人間的なあり方はまったくもって希望が見える。たくさんの人たちの関わり。経済活動が人間関係を支えている地方でのつながり。何がいけないのか、簡単にはわからない。ただ手を汚さないで言葉や思想で遊戯している人たちを哀れむ。生きること。なまなましく生きること。それが人間だと思う。


今宵は焼き鳥で乾杯。






ゴミのような宝物に包まれて。
水曜日の夜。
場末の酒場からは、なつかしい匂い。
焼加減と塩加減。
普遍の原理。
嘲笑え、従順であることを。

牧丘の鳥

今朝は早朝に目が覚める。いよいよ体内時計も老化したのだろうか。夜が白みはじめると美しい鳥の鳴き声が聞こえる。昨日の昼頃、出かけに畑の南の道路沿いの梅林で、嘴の太いぽっちゃりとした鳥の群れがいた。最初はシメかなと思っていた。後で図鑑を確認したところ、嘴の黄色でイカルだとわかる、ずっと会いたいと思っていた鳥。そして、今朝の美しい声の主はどうも昨日のイカル達。薄暗い灰色の夜明けに柔和な声が響く。そして、雨がまた降り始め、さえずりは消える。イカル達はきっとどこかで雨宿り。

ここ牧丘は庭や畑にたくさんの鳥がやってくる。
庭先で餌をついばむジョウビタキのつがい。離れの下の梅にくるエナガ達。シュロに群がるオナガ。柿の木で休むモズ。キウイ棚の下のホオジロ。ツグミ、ヒヨドリ。

これからの季節、まだ見ぬ鳥達にも心がはずむ。

イカルの鳴き声

thirty-five years old

今日も寒くて朝寝坊。お昼まで寝てた。
ちょっとここ2、3日寒さがきつい。

今日は何もしないでおこうと思って、縁側でドストエフスキーと戯れていたら、オーナーさんがやって来る。実は最近、ほとんど毎日こられている。というのも、オーナーさんのお袋さんが肺炎をこじらして入院されていて、もしかしたらの状態だった。オーナーさんは病院に毎日行かれていて、帰りにウチに寄ってくれて状況を教えてくれる。もう一週間くらいになるかな。

入院されているお袋さんってのは痴呆症になられていて、今は老人ホームにいらっしゃる。それまではウチの離れで住まわれていた。ちょうど先週に離れの周りを綺麗にしたところ、そんな話になって、わかんないけど何かあるのかななんて考えたりもしていた。

もしもの時は、僕ははじめはオーナーさんのいうよう離れからってことに同意したんだけど、みんながそれは遠慮しているからだと気づいてくれて、オーナーさんに母屋を使ってくださいと言ってくれて、そういう話になっていた。親戚の方たちも遠慮されてたようで、何度も離れでいいよって話になったけど、やっぱりそれは僕たちとしても何か違うということで、母屋で送り出そうという話でまとまっていた。

そのお袋さんが今日、自分で上半身を起こせるくらい元気になったし、ごはんも食べれるようになったとオーナーさんが報せに来てくれた。オーナーさんとても嬉しそうだった。僕もとても嬉しかった。いくつだからとか関係なく、人が生きているってことが嬉しいことだから。

ここ何日か、変な葛藤があった。離れの周りを片付けたからお袋さんが悪くなったんじゃないかなと。母屋でお見送りするなら、母屋の仏間を片付けなければならない。でも、片付けたらお袋さんがその気になってしまわないかなと。でも片付けないといけない、、、仏間は荷物をだして掃除すればそんなに時間のかかることではないし、やめておこうと思った。それで思いついたのが、お袋さんが離れの下に残したゴミ。痴呆になられていたとかそんなことは関係なく、彼女が生きている間にあのむごたらしいものを何とかしてやらんといけないと思った。それで昨日重い腰があがったように思う。でも、あれと向き合うには時間がかかる。それでいいのかも。ゆっくりやろう。変な話だけど、お袋さん、待ってて欲しい。


申し訳ないけど、毎日温泉に行っている。バイトが17時半からだから、16時に温泉に行くのが楽しい日課。温泉に行くにはやはり僅かながらも生きてきたツケが身体にこたえていて、今年はそれを何とかしたいと思っているから。湯治。少しぬるめの湯に30分以上はつかってゆっくりと汗をかく。だんだん効果がでてきたみたいで、調子がよくなってきた。

悪い癖で、身体の調子がよくなると、悪いモノをいれたくなる。困ったもんだ。



サバといえばやっぱサバ缶(笑)
本当は焼き鳥したかったんだけど、いろいろあってソーセージ。



七輪で焼くとうまい。
タマネギなんて超甘い。



七輪と戯れながら、薪ストーブの料理本を読む。愉快だ。



10日前につんだ椿はまだ元気。


時間の流れはそれぞれ違えど、
素直に喜べたら、
生きることは幸せだ。

いい塩梅。

予想はしていたけど、また寒さが帰ってきました。
寒い日は朝日があたっても、布団から出たくない気持ちに従順にゆっくり眠る。起きる時間も自然にまかせていればいい。
のそりのそりと起きて、顔を洗おうと水場にいくと、こんなものが迎えてくれる。



水が勢いよくでてるのではなく、氷柱。
水道が凍ると破裂する恐れと、とても寒い日に一度トイレの水道管が爆発したトラウマがあるので、夜は必ずチョロチョロ水をだして眠る。でも、こんなことになるとは思いもしなかった。茶柱が立つくらいきっといいことがおこるんだと朝から幸せな気分。

今日はまた離れの前の畑を片付け。掘り起こしたまま放置していた、前の住人の負の遺産に手をつける。この負の遺産は、ごみ発掘したものの、何となく気がすすまないまま一ヶ月がたってしまった。そろそろ何とかしないとと思い処理場をつくった。場所はみんなで駐車場にしようかと考えているところ。敷地内に放置されている資材やシートを使ってできるだけ簡単で、有害物質が漏れないようにと。



このゴミは何でもかんでも入っていて、もし業者に頼んで引き取ってもらえば残土処理みたいなところに運ばれるだろう。お金を払えば自分達の土地から新たなところに移動するだろう。でも、そういうのは違うなと思っている。無害な状態にする方法は今のところ僕は検討がつかないのだが、努力を惜しまなければ、まずは分別くらいはできると思う。あまりにもひどいゴミだからこそ、なんとかして取り組んでみたいと思っている。でも考えてみると、日常、ゴミ箱にすてているゴミは自分で処理することを放棄しているだけ。手を汚さないし見えていない。そんなもんだ。
このゴミを綺麗に片付けることができたら、この家の先住の人達にきっと喜んでもらえるような気がしている。時間をかけてやればきっといいことが見えてくる。

夜は我流ポトフ。先日友人の嫁がつくってくれたポトフの経験がどうも心に残っていた。野菜の切り方、出汁のとり方、そして塩加減と塩を入れるタイミング。いつも食べることが好きなもので、つくることより食べることを考えて料理をしてしまう。おなかがいっぱいになればいいという貧困な発想からうまれる料理。それはそれでおいしいんだけど。対話しながら料理をすれば、満腹以上の経験を得られることを教えてくれた。これからは料理も少しづつ丁寧にしていきたいと思う。

ほんと毎日がおだやかで
いい塩梅。

ある程度の人生経験をしている間も、
パンの焦げ目は忘れないでいよう。

報せませり

ここにきて、毎日、日課じゃなくて楽しみを少しづつ増やしている。
意識的に少しづつ。

昨日の夕方は、風がとても強かったけど、そのせいか雲のたなびく様がとても美しくて何となく絵を描いてみた。鉛筆をナイフで削って。絵心が自分にあるとは思わないけど、こんな気持ち何年ぶりだろう。

いつも朝は日の出くらいに起きて、縁側に日があたるまでの数時間をゆっくりダルマストーブに中り、コーヒーを飲んで朝食をとり、本を読んだり何もしなかったりのんびりと過ごしている。

先週末友人がつくってくれたポトフの残りにクラッカーを浸して。



友人は料理のセンスがないなんて可愛く謙遜してたけど、まったくそんなことはない。作り手の心がしみるスープは、寒い朝にはうってつけ。

今日は火をおこしたものの落ち着かず、朝の散歩をしてみる。散歩といっても敷地内。移り住んでまもない土地だけど、たくさんの人の関わりがある場所。ひとりひとりを思い浮かべることができる。またもや寒さがぶり返したけど、気持ちはもう春。茶色い絨毯に緑の染み。小さな小さな息吹に、なんだかワクワクする。すがすがしい。



梅がたくさん咲いてきた。

散歩の後、たまった食器類を一気に洗い。その後は日当たりのいい縁側のソファで読書を楽しむ。ロシア文学が好きなもので、カラマーゾフの兄弟をまた読んでみることに。拝啓ドストエフスキー様、あなたのなまなましい人間描写にはいつも感服させられます。

お昼ごはんは焼きソバ。



七輪で中華鍋を振り回す楽しさ。火力調整は鉈できざんで用意した木の切れ端で。炎の料理人になった気分。

午後からは、離れの下の畑を少し片付ける。敷地のあちこちにささっていた、固いビニールで覆われている棒。自然素材以外でできた農業資材は、畑には似合わないと思う。生産効率を追究しても、結果残るのは痛めつけられた姿。やむにやまれないことが、大地や人の心から何かをうばっていく。そして病んでいく。

虫の報せが聞こえる。
心を解き放てば、
あなたの声も聞こえる。
私の声もあなたに届く。
すべてが報せ。

まだまだ聞こえる。

ごぉぉぉおおおおっ in the wind

来るぞ来るぞ
来た来た
ごぉぉぉおおおおっ。

柱メキメキ、
建具ガタガタ、
とたんバタバタ。
隙間風グリングリン。

あっちからこっちから
容赦なく。
かまやしない。

来るぞ来るぞ
来た来た~
ごぉぉぉおおおおっ。

シュロがグラグラ、
樫の葉ビュンビュン、
風が鳴いたら
野原が笑い
雲が走って
春が来る。



風が吹いて、
暖かくなったら、
また
風が吹いて
寒くなる。

春の予感は勘違い。
冬の悪寒も勘違い。
芽を出せぐんぐん、
さもなきゃ来ない。

来るぞ来るぞ
来た来た
ごぉぉぉおおおおっ。

チ~~~~~ン

朝起きて、まずやることがダルマストーブで火おこしが、毎日の日課になってきている。朝は縁側は10時くらいまで冷えるから、暖をとって、朝食の準備をして、お湯を沸かしてコーヒー飲んでゆっくりする。パンを焼くのもトースターでチ~ンではなく、ダルマストーブでチ~~~~~ンンンンン。ゆっくりゆっくりこんがり焼けていくサマ。パンを自分でこねなさいとか、コーヒーも自分で自給しなさいとかそんなこと言わないでね。そのうちやるからゆっくりゆっくり。もうこの朝の数時間で大体幸せ。



で、ぼちぼちのそのそ動き出す。今日は文明の利器、いよいよ洗濯機を設置することに。いやぁ炭暮らしの難点は、もともと臭い野郎だけど、炭臭で衣服がコテコテに臭くなること。毎日温泉は行ってるんだけど、服がやばくて。そろそろ使いまわしがきかなくなってきたので、ようやく設置することに。

洗濯機の設置なんて普通の暮らしじゃ簡単だけど、ここはそういうわけにもいかない。まずは蛇口の確保から。風呂場からホース経由で引っ張ってみたところ、圧に耐え切れなくて断念。外の洗い場の蛇口はないので、つなげられない。どうしたものか、洗濯機の延長ホースを買うか、外の蛇口を買うか、はたまた分岐水栓を買うか、いろいろ思案してみるが、やっぱ買うのは違うなと思う。が、蛇口が欲しいと思ってても洗濯もそろそろしたいし、なかなか待つのはつらいなと思ってたら、そうだ、風呂場の温水用の蛇口を外して付け替えられないかなと。これが、ビンゴのサイズ。青錆でコテコテになってたから、また砥石で磨く。ピカピカになったら次は設置場所の確保。ちょいと板を鋸でゴシゴシ切って高さもあわせて何とかできた。

洗濯機設置に日中を費やす。明日から洗うのが楽しみだ。
雨か。じらすね~。




人生の豊かさは
食パンの焼ける時間の長さと
雨でも洗濯ができない余裕な態度に
比例する
雨にうたれたパンも
またいいだろう

コンパクっと。

モノに溢れている。
しみったれた自分の持ちモノ。この土地に埋もれているモノ。そしてこの地球上で24時間休みなく生産されているモノ。モノモノモノ。掃いては捨てて。世界が回る。ムダムダヤダヤダ。できるだけ加担したくないもんだ。

最近、お金で解決しないでおこう!ということをやんわり心掛けている。とくにこれから必要な道具。ライフスタイルが変わって、どうしても自分のが欲しいなぁという道具が出てくる。でも、買わないでじっとじっと我慢してみた。欲しいと思った時にごっつ考えてみる。おいおい、いるのか?いらないのか?それでもどうしてもいると思ったアイテムが2つあった。ペンチと火バサミ。どちらもアナログだけどアナログ原始的な生活には超強力なマストアイテム。ームセンターに行く機会が増えたので、そんなもの安く簡単に手に入る。でも我慢していた。そしたら2つともこの家から出てきた。

どちらもコテコテに錆びていたけど、金属磨き用の砥石もあるので、これまたゆっくり時間をかけて日向ぼっこしながら錆を落とす。鉄でできたものは、磨けば光るしまだまだ使える。

最近、強く思うと思わざるに関わらず、願いが叶うことが多い。やっぱ大吉だ。

必要なものだけに削ぎ落とした快適さを今求めている。それで、ある程度土間は片付けたんだけど、火をおこすライフスタイルに変えたからもっとラクにすごしたいという欲求があって、必要なものをコンパクトにまとめて何とかならんかなと考えてたところ、またまたいいものに出会った。小学生用の机。このアイテムはなんかいいんだよな。ランドセルとロッカーと机。そんなんで満ち足りてたな。ということで、ちょいと改造してみる。ダルマストーブと七輪があってそこでゆっくり遊べる道具達。

コッヘル。
フォーク&ナイフ。
ヤカン。
ポット。
お玉。
焼き網。
火バサミ。
ウチワ。
まな板。
包丁。
コーヒーセット。
余剰物(ジャム)。

こんなものを一箇所にコンパクトにまとめて尚、移動できるとよし!ということで、



ぶら下げて



教科書のところには、まな板、包丁、手帳、ノート、お楽しみアイテムのジャムなんか入れたりして、



昼は縁側、夜は土間に移動可能。毎日一学年あがるような、教室移動のような。まぁ性格的にどうしても貧乏くさい感じは拭えないが。本当に必要なものだけに削ぎ落として、ちょいとプラスαすることはなかなか心地よい。しかも移動可能。いくいくは、畑にも持って行ってもいいなと思っている。

時代はきっと削ぎ落とす方向に向っていると思う。
捨てよう!
拾おう!
とってもたくさんあるモノの中から必要で大好きなものをコンパクトにまとめて。

そろり、すろーりー

毎日ゆっくりゆっくり生きてます。
自分の体内時計、脳内欲望に素直に従順に。
面倒くさいな~と思うことはやらない。
やるのは好きなことだけ。
気になることはいっぱいあるけど、
それもじわりじわり。
時間にしばられないで、時間を大切にすること。

自分で火をおこし、暖をとり食事をつくってみる。
目覚ましなんか使わないで、日の出と自分の体の具合で起きる。
それだけで日々の感覚が変化してくる。
単純だから単純に生きればいいと思う。

今日は離れの軒下周りをぼちぼち片付けてみる。
ほとんどが捨てる運命にありそうなもの達。
免疫がついたのか、グダグダに汚れたものも
あまり気にならなくなってきた。
疲れたら、疲れてなくてもすぐに一服。
ダルマストーブは火種が消えないように
日中もずっとじわじわ火をともしている。
その火種を七輪に移して週末に友人が持ってきてくれた
パンをあぶりジャムをぬって食べる。
顔が見えるものを味わうこと。
いい時間。
幸せすぎて涙がでる。

のんびりゆっくり、
いや、
そもそもこういう時間の流れが本来なのか。
人間回帰、廃人へとまっしぐら。

綺麗になると気持ちのいい場所。


軒下で発見した太郎岡本のような
愛らしいやつ。


バカな盆栽
名づけて「バカ盆」にも
得体の知れない草がにょきっと芽をだしていた。


梅も咲いてきたし、
ゆっくりじわじわ春だね。


急ぐのさ結論を
今がどうだか昔がどうだか
馬鹿げた歯車の一部でも
あの流れ星
お前は見たというのかい

今ここにいること

今日は舞茸とサツマイモのカレー。
火鉢を七輪の横において火力調整。



人間は火を使うことで進歩した。のか?
道具は常に便利さの追求を要求する。
進歩の背後で退化したもの。



カレーうまい。
肉がないから油揚げを入れた。
いい味出す。
今宵のお供はSonny boy williamson。
土間にブルースも似合う。

まったりして、ベルセバなんて久しぶりに聞いて見る。
もう10年前か。



この曲とオザケンの天使たちのシーン、
どうしてもなぜか同じ風景が見える。

今ここにいることに
とめどもなく涙が溢れる

ドマドマドーマドーマ♪

今日は役所回りしてきた。
市役所じゃなくて近くに庁舎があるんでそこで。
ゆる~い対応に田舎にきたんだなと思う。
まぁ生まれも育ちも田舎モンだけど。

で居間とかあっちこっち片付け。
どんな感じになるかな~と、
居間からテーブル以外のものを撤去してみた。



なかなかすっきり。
台とかちょっと物置けるところがあると、
どんどん増えていく。
まだ収納とかすべて仮設だから、
人が来たらどうしてもあっちこっちにモノが
散乱していく。
とりあえずそれを避けたいと思っていろいろすっきりさせている。
仮設ながらラクにすごしたいもんだもんだ。

バイトは仕事が終わればさっさと帰ってよいとのことで、
さっさと帰ってきた。

今宵は七輪で米を炊く。
たしか、はじめチョロチョロなかぱっぱ。



って火力が強すぎてはじめから
ぴゅーっっ。
少しおこげご飯になりました。

で、季節外れたけど白メシのお供にと
秋刀魚焼いてみる。
が、これまた火力強くて大苦戦。



火を使いこなせるようになるには
まだまだだ。

けど、ご飯も納豆をかけて
秋刀魚もおいしくいただきました。
なんか朝食みたいだ。



今宵のお供はスティーリーダーンとドナルドフェイゲン。
AOR、アダルトオリエンテッドロック、大人限定。
土間と和食とAOR。やっぱジャンクだ。
ずっとストーブを使ってないけど、
なんとなく全然平気。
土間が居心地いいから夜もずっと土間にいる。
炭があればやっていけるなぁ。

プラスチックラブ

今日は洗濯機みがいて、
洋服入れにと考えていたプラスチック&鉄のヨドコウ箪笥をみがく。
どうも紙とプラスチックを分別するようなので、
ゴミ箱にと考えていたプラケースもみがく。



プラスチックについては、捨てられたらゴミだしリサイクルとか胡散臭い。
もうプラスチック製品はつくって欲しくないとは思っている。
が、すでにあるものはリサイクルするのも捨てるのも何か違うと思う。
実際使うとなるとすごく便利。
汚れていてもタワシでゴシゴシしたらとても綺麗になる。
現代の負の遺産的なものについて最近よく考える。
たしかにプラスチックは負の遺産だと思う。
が、迷路。
地球にあるものは、たとえどんな科学的につくられていても、地球にあるものを何とかしてつくったもの。プラスチックだってきっとそう。ただ、それを今の自然に捨てると自然界は困るんだろうな。それと、プラスチックの生産で人間の世界は結構回ってもいるな。人生多く見積もっても100年って単位で考えると、プラスチックには勝てないか。うーん、プラスチックは200年後、1000年後どうなるんだろう?わかんない。そんな似たようなウン千年後にどうなるかわからないものを生産してそれに囲まれているな。

と、プラスチック問題になかなか考えたりする。
今、僕が思うのは、
もうこれ以上生産して欲しくない。
が、今あるものは大事に使いたいな。
今あるプラスチックを愛したいな。
もう少し考え続けてみよう。
プラスチックラブ。

デット危険スペース堀炬燵穴を仮説CD兼本棚件必要物ゾーンに。
うむ、ビレッジばんがーど風。
何やってもジャンクな感じになるなぁ。



で、今宵もフィーバー。
今日は七輪で常夜鍋。
白菜は藤野産。豚肉はオギノで自分で買った。出汁昆布とちょいと酒を入れて煮込むだけ。
これがうまい。醤油とか酢とかたらして食べる。
今宵のお供はジョニ・ミッチェル『ブルー』。
いやぁ旨すぎてマズイ。



七輪も独居廃人にはなかなか都合がいい。
廃人あらため、灰人やな。
ゆっくりだけど料理もできるし暖もとれるし
お湯も湧く。



常夜鍋の残り汁でN君のウレシパモシリウドンを喰らう。
ネギは藤野産。

何となくみっちゃんごめん。
ゆっくり灰人生活。
やばいやばい。

パラダイス・アンド・ディナー

昨日土間を広くしたので、
今日は鍋、食器、調理器具、食材、調味料、酒なんかを
何となく使いやすく整理してみた。
元々あったもの、みんなが持ってきてくれたもの、
有効にシンプルに活用したい。

好きなことしかしないので、
一日中遊んでるようなもんだけど、
一応ブルーカラーだから夜はお勤めにでている。
夕方17時30分から21時30分の隙間産業。
通勤時間が5分かからないので、
帰ってきてもまたすぐ遊べるのだ。

今日は午後から企んでいたダルマ君と戯れる!



いやいや、、
ダルマストーブで夜食!
これに恋焦がれ憧れていた。

みんなが伐採してくれたリンゴの木を薪にしてみたんだけど、
やっぱまだ生木でうまく着火せず煙もうもう。



うちわで扇いだり、F作の竹筒でふぅふぅ吹いたりすること
かれこれ。火が安定した頃には体ほかほか。
一挙両得なかんじ。



やっと火が安定して、ぐつぐつぐつぐつ。
今宵もホウトウ。2日に1回ホウトウでもいいくらい気にいってる。
目指せ筋金入りの放蕩息子。

まだかなまだかな。



できた。



今宵のお供は、
ライ・クーダー「パラダイス・アンド・ランチ」



ご機嫌。酒が進む。太鼓も少したたいてみる。
薪ストーブあったかい。から、土間でネットしてみる。
あかん、今日も最高、まじやばいでプライスレス。

孤独の値段



今日は土間においてあった家具を全部だした。
すっきりした。
土間広い!
すごくいい!
裸電球気持ちいい!

すっきりしたんで土間で夜食。



豆腐が残ってたので、
七輪でゆっくり湯豆腐。
優雅だ。
が、食べてびっくり豆腐すっぱい。
賞味期限見ると一週間前に切れてやがる。
ま、いいか。死にゃぁしない。
一応ワサビ醤油でいただきました。
明日のトイレでの侘び寂びが楽しみ。

今週はストーブ無しでやろうと思ってたところ
ちょうど灯油が切れてたので、
七輪の火を火鉢に。



寒いけど、大丈夫。
死にゃぁしない。
孤独の値段はまさにプライスレス。

こんにちは牧丘



引越しが完了して今日から牧丘での生活が、マジではじまった。
どうぞよろしくお願いします。

さて、僕はここで何をし、
何をなさないでいられるだろうか。

情報として入ってくる世界には目を背け耳を閉ざし、自分が直接、生で、見、聞き、触れ、臭い、肌で感じたことに執着しよう。が、たまにはテレビも観よう。

世界の裏側で起こっていることに口を出すのはやめて、自分の庭や畑に起こっていることと毎日話をしよう。が、たまには新聞も読もう。

よくわからない社会の問題には無関心でいよう。身近にいる人の心を大切にしよう。が、たまには政治の話もしてみよう。

出会う人すべてを愛せるようになろう。出会う人すべてに素直に向き合えるようになろう。が、たまには悪口も言ってやろう。

時間を捨てよう。腹時計に忠実に生きよう。が、目覚まし時計もたまには使おう。

書は捨てれないけど、街は捨てよう。が、たまには焼き鳥食べに行きたい。

ガラクタを自然に返そう。その前に自分を…。


まぁようわからんけど、
何年かかってもいいから
ゆっくり楽しくやりたいもんです。


いちばん大事にしなければならないのは、
生きることではなくて、
よく生きることである

ソクラテス曰く

2009年2月1日。

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