敗北か廃木かハイ!僕か?

たった二日だけど雪と雨で心がどんよりしていた。天候の影響だけじゃないのかもしれないけど、天候に気持ちが左右される生活をしているのかもしれない。晴れると、決まって望みが叶うような。

今日は天気予報で晴れることを知っていたから、種をまこうと思っていた。目が覚めると、すりガラス越しにキラキラとしている。戸を開けば眩しい縁側。どうしようもなく気分がいい。昨日までの最低な気持ち、簡単に何処かへ。先に目覚めていた同居人が、めずらしくコーヒーをいれてくれる。眩しい太陽と目覚めのコーヒー、とても気分がいい。種をまこう。

離れの下の一角、桜の木の下に青紫蘇の種をまくことにした。ゆっくりと丁寧に時間をかけて草をそぎ、畝を盛り、種を降ろす。つい先日見て学んだやり方、まだまったく血肉化してないから、ぎこちないけどそれなりにそれなりに。手先の感覚は覚束ないけど、土や草と丁寧につきあうことで心が満ち足りていく。正しいかどうかの判断は自然にしかできないと思う。真摯に土に触れること。それができれば、まず、いいのではないか。



午前中に種まきを終え、お昼ご飯は友人からもらった10年前の米でお粥を炊き、土地に生えている菜っ葉とベーコン、週末の残りのチーズでリゾット風にして。少しワインも嗜みながら。三月の午後の太陽とごちゃ混ぜリゾットとワイン。しばらくまどろむ。

洗い物をきちんと済まして、昼過ぎからは蔦で被われたリンゴの林に手をつける。
この土地にはたくさんのリンゴの木が植えられている。ほとんどが、虫に喰われて朽ちようとしている。その有様はとても物悲しい。蔦に被われながら群生し廃木と化している景色は、ここ数十年の時代を現しているように思う。手を加えること。手が加えられなくなること。

二時間ほどかけて、三本の木の幹や周辺をさっぱりとした。ゆっくり時間をかけて丁寧に、荒廃した文脈と向き合いながら。



僕達の時代にできること。
もう何も手がつけれないものに
手を出してはいけないと思いたい。
けど、
お金で買えるものに依存していることには
思考停止。
同じだ。

身体の動かない頭の中のことを
鼻で笑いながらも思考を積み重ねよう。
ほんとうに楽しいことはもっと先に見える。
嘲笑していては、まだまだだ。
厳密にしたところで楽しいことがあるのだろうか。
そう思いたい。

2 件のコメント:

  1. 匿名3/06/2009

    相模湖に引っ越してから、
    天気と季節の影響が心身ともに
    顕著に現われるようになりました。
    都会は良くも悪くもあまり感じない
    ところだということに気づいた。
    裏磐梯はもっと楽しみだ。

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  2. 自然の近くで生活すると、
    天気や季節の変化を
    感受しやすくなるんでしょうね。
    相模湖と裏磐梯では、
    また質の違う影響を楽しめそうですね。

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