バイト先の農場で鶏もやっている。約4000匹。鶏舎が2つ。5メートル×25メートル、5メートル×50メートルくらい。毎日3000個くらいの卵がとれているよう。農家さんの現金収入源。一度ヒビのはいった売り物にならない卵をもらったことがある。スーパーで売っているものよりも黄身の色がうすくて、ちょうど、PCCJで平飼いで飼ってた鶏の卵に似ていた。味はおいしかった。卵は近くの小学校にも配達している。

が、しかし。こんなところで飼われている。



ひとつのゲージに2羽づつぎゅうぎゅうにいれられていて、



突付きあうのか、頸や尻は羽が剥けて、傷だらけ。



僕は卵は拾わない。卵を拾うのはパートのおばちゃんたち。僕の作業は、ゲージ下の鶏糞の臭い消しにコーヒー滓をまくため、鶏舎に2週間に一度くらいはいる。その度にまる一日、どうしようもなく陰鬱な気分になる。何千匹のけたたましい泣き声とつつきあい、糞尿の臭い、鶏臭。ぼろぼろになって、ただ卵を産むためだけの命。

けっして、農家さんを告発するつもりではない。卵は貴重な現金収入源である。少しでもおいしい卵をと、飼料なども努力されていて、実際に卵はおいしいと思う。が、しかし。鶏があまりにも悲惨である。
実際の生産の現場を見るまで、スーパーで卵は平気で買っていた。なんとなく想像はしていたが、その時その時の気分で赤い卵や安い卵を選んでいた。今でも食べろと言われれば、どんな卵でも食べると思う。が、ゲージにぎゅうぎゅうずめにされ、卵を産むためだけにぼろぼろになっている鶏の命があまりにも悲しい。

スーパーに陳列される卵や肉、加工品は実際にどのようにして生産されているかを自分の目で見なきゃ、わからないし感じれなかった。ピカピカにみがかれたショーケースに陳列されているものの背後でどんな命が育まれているのか。むごたらしい現場。生産と消費の最悪の関係。それが見えない関係性の命のつながり。

正直マクロビ的観点はあまり好きじゃない。自分の健康のために食事をとることも好きではない。肉も卵もおいしいし、食べたいし、暴飲暴食もやめるつもりはない。最悪かもしれない。

が、安い値段で得た食べ物について一切文句を言うつもりはない。農薬が付着していようが、化学調味料が入っていようが、産地偽装されていようが、お金で買う食べ物、そもそも見えない関係性の食べ物の消費活動に何が言えるというのか。

命のつながりを意識した食生活。
どうすればいいかは自ずとわかりかけている。

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