昨日は朝から荒地と取り組む。
5m×5mくらいの広さに蔦に被われしリンゴが数本。この場所を自分用の畑として自由に使えることになった。サンクチュアリ。僕の聖域。小さな聖域。一日かけてゆっくりと手入れをする。鳥もやってくる。ジョウビタキ、ツグミ。この土地全体は鳥たちが豊富に遊んでいる。蔦で被われたリンゴ畑は恰好の鳥の楽園。たとえ敷地であっても、人間のための土地として勘違いしてはいけないと思わされたりする。きっと人間の土地なんてないんだろうと思う。自然はすべて聖域。傲慢な僕たちの思考。何が荒れているのだろうか。多分僕たちの頭だと思う。人間は自然の一部でありえるのか。僕は自分を肯定できない。何をなすべきかなさないべきか。もう少し考え続けてみようと思う。
切り開いた僕のための小さな聖域。刈り取った草木は、亡骸としてその場にできるだけ残す。簡単な感情ではない。思うことすらできない。けど平気で刈れる平気で切れる自分がいる。美しくなった。誰にとって。
今日は朝から雨。たくさんある種の整理をすることに。知恵を借りて分類する。春蒔き、秋蒔き、四季まき、果菜、葉菜、根菜、穀類、ハーブ、花、その他。種の保存にちょうどよさそうな衣装ケースに。たくさんの種たち。野菜をつくること。食べきれない野菜をつくること。去年がそうだった。つくっても食べ切れなかった。これからは誰かのためにもつくれたらいい。ほんの少し余分にという気持ちで。
ドリトル先生を読み終える。以前古本屋で見つけてから、しばらく読まずにいた。
ドリトル先生の名前は、Do littleから。
Do little
きっと訳せないんだろうけど、心地よい響き。
ドリトル先生は動物とお話ができる獣医さん。
「金なんてものはやっかいきわまる。あんなものが発明されなかったら、わしたちは、もっとらくに暮らせただろう。しあわせでありさえすれば、金なんかなんだというんだ。」
「わしは金払いのよい人間よりも、動物のほうがかわいいのだ。」
ドリトル先生がアフリカでチンパンジーを救って、お礼にいただいた動物は、
オシツオサレツ。
ひとつの頭でものを考え、
もうひとつの頭でものを食べるはにかみや。
Do little.
いい響きだと思う。
今日も幸せな夜。
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